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「あの陽気な歌姫、ドリス・ディも、、」19.05.14 [巷の話]

 ドリス・ディという名前を聞いてピンとこない人は最早新人類だ。

彼女も遂にこの世をシィズ、ゴーン,パセッド,アウェイ。

1922年生まれというから、本邦では「京まち子」と同じ年ぐらいだろう。

なんといってもドリス・ディを有名にしたのは1956年公開された映画「知りすぎていた男」であろう、

陰謀渦巻く政治の世界でご主人役のジェームス。スチュワート、と共演し、

誘拐された我が子を救うために精一杯の声を張り上げて、このケセラ・セラを歌った。

そして誘拐されていた我が子が母の歌だと気が付き、最後は取り戻される話。

そのシーンがよみがえる。

実に感動的な場面だ。

でも彼女はその他にも優に百曲近い歌を歌っている。

「センチメンタル・ジャーニー」などはスローバラードだが、なんとも言えない雰囲気を醸し出し、我々をうっとりさせたものだ。

一時世間を騒がせるほど歌われた、あのはつらつとした陽気な歌い声、

聴かれなくなって久しいが、当時を知っている人たちにとってやがて我が身も、

と感慨が゜深いものがあるだろう。

彼女と同世代に生き、お先に亡くなった歌手や俳優も多い、

かのパティ・ペイジ。ベティ・ハットン、GIジョーと言われたジー・スタッフォード。

彼女たちも一足先にパセッド・アウェイしている。

我々は長生きしたおかげで数知れない歌手や女優たちに出会った。

その中でもドリス・ディは格別の感がある。

彼女の噂を聞かないな、と思っていたら今朝の訃報だ。

人間何時までも生きられることはない。

すべての人がパセット・ア・ウェイ、消えゆくのだ。

それにしてもドリス・ディは我々を楽しませてくれた。

心から御礼を申し上げたい、と同時にご冥福を祈りたい。

彼女が生まれたのは百年近く前だ

。勿論あの第二次大戦以前だ。

彼女と同年代にはG・Iジョーと言われたジョーと呼ばれたジョー・スタッフォードがいる。

かの女も戦場をよく慰安して回った。

そして兵士たちを大いに楽しませ勇気づけた。

今やA・I人工知能の時代、彼女たちの生きていた世代とは180度以上変わってしまった。

それが証拠にドリス・ディの事を知っているかと現代っ子に聞けば、おそらくまともに答えられる子供はいないだろう。

隔世の感がある。でも現代のぎすぎすした時代よりはるかに昔は潤いがあった。

一人の名前を聞けば次々に有名歌手、俳優の名前が脳裏によみがえってくる。

古き良き時代は去った。

今朝の彼女の訃報を聞いてなお一層その感が強い。

とにかく彼女には心から御礼を申し上げ、ご冥福をお祈りする。

本邦にも昔の俳優、女優たちがまだ生きている人がいる。

もっとも有名なのは今年87歳になる岸恵子、いまなを矍鑠として美貌を放っている。

それにしてもアメリカの女優でもはや生き残っている女優は少ないであろう。

懐かしさのあまりつい筆を執ってしまった。


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