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「井伊直虎??これしか題材は無かったのか、、」17.01.15  [歴史のこと]

 今日は日曜日生臭い世上の出来事は別にして、暫し昔を振り返って見よう。

今NHKの大河は番組で井伊直虎の物語が流されている。

何でも女城主で井伊家一国を背負って生きた女として描かれている。

しかし井伊家の歴史にはこの直虎なる女城主など何処を探しても出てこない。

こうなると完全なでっち上げと思わざるを得ない。

井伊家は元々今川家に被官していた一族、古くは藤原冬嗣の末裔だそうだが、

そんなことはとても信じられない、

藤原の末裔を名乗れば世に通じると思っていたのだろう。

世は戦国時代、一旗揚げようと戦場で大声を上げる物は多い。

だが彼の義元が信長に打たれてしまい、その子氏直が後をついで立つ意欲が全くなく絶えてしまった。

その被官であった井伊家。

初代直平が出て来るのも1540年ころ、直宗、直盛、尚親、直正、直孝に繋ぐ、此処で家康との出会いがある。

それまで静岡県引左群引左町蟠踞していた。

がかの関が原の戦いが家康の目に留まり、長男直か上野安中藩を貰い以来幕末まで続く。

次男直純は彦根に35万石として優遇され、

幕末には彼の安政の疑獄を起こした直弼がいる。

そして一度は今川に党首を暗殺され途絶えてしまっていた。

そして直平、直盛、尚親とつないで、親藩ではないが譜代として大いに重用される。

だがどの系図にも直虎とか次郎法師などと云う名前は出てこない、

内容を書き換えて登場させたのならまだフェイクの枠に入るがこれは完全なでっち上げ、

つまり史実とは全然関係ない物語なのだ。

女城主として有名なのはかの信長の叔母が岩村城主に嫁ぎ彼の地に送られていた。

ところがその城主遠山景仁(とおやまかげとう)が病死してしまい、

やむなく女城主として戦わなければならなくなった。

攻めてくるのは武田の家臣秋山信友である。

がその秋山がその女城主にほれ込み、終に自分の妻にしてしまう。

怒った信長は総力を挙げてその岩村城を攻める。

そして遂に岩村城は陥落する。

信長はかねてからその叔母に思いを寄せており、かわいさ余って憎さも憎し、

二人を逆さ貼り付けにして処刑されてしまった。

が今回の女城主井伊直虎、ただ根拠のない作り話ばかりである。

NHKも余程歴史ドラマのネタに困ったと見える。

これで一年間どのように話をでっちあげるのだろうか。

兎に角今回の井伊直虎、女城主の物語はよほどネタ探しに困ったものとみられる。

井伊家は幕末あの安政の大疑獄事件を起こした直弼が居る。

直弼も朝廷の勅許もなく通商を開いたと攻めたてられ、終に桜田門外で暗殺されてしまう。

徳川四天皇と譜代としては特別重用されたが、

明治維新が起り、錦の御旗を薩長軍に取られたと知ると、

井伊藩は態度を豹変し新政府軍に寝返ってしまった。

一番徳川の味方である井伊家が一番に幕府を裏切り、新政府に裏返った日和見一族である。

歴史物語をこんな形で捻じ曲げてしまっては、NHKの信用も一気に地に落ちてしまう。

そうでなくとも若い子はそれを真実と信じてしまう。

今年一年どうなるか興味深々、、、
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