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「火付け盗賊改め頭、長谷川平蔵宣以」16.11.13  [歴史のこと]

 又日曜日がやって来た。

偶には肩の凝らない昔話でもしてみたい。

テレビで有名な長谷川平蔵、悪人をバッタバッタと切り殺し、

フィリピンのドティルテも顔負けだろう。

しかし彼だけが火付け盗賊改めという役職を務めたのではない。

そもそもこの火付け盗賊改めは江戸幕府が出来てすぐの1611年、寛文11年に発足している。

江戸幕府が出来てすぐの頃である。

そして実に平蔵が受け持ったのは165代と166代だけ、

明暦8年(1771年から1772年)10月から明和9年までのほんのわずかな期間でしかない。

だがテレビでは平蔵のみが大きくクローズアップされ、数々の事件を解決している。

あれほど江戸の町で事件が起きていれば最早反乱かクーデターに等しい。

でも原作者の池波正太郎は事件を書きまくり一躍有名になった。

何しろ事は派手に書かなくては売れない。

書くわ書くわ、よくもこれだけ事件をでっち上げたものである。

この長谷川平蔵、本名を長谷川宣以(はせがわもとのぶ)と云い、幼名を銕三郎(てつさぶろう)と云った。

お蔭で本所の銕さんと呼ばれ、部下たちに大いに慕われている。

この銕さん先代が妾に産ませた子供で、後を継ぐ兆しはほとんどなかった。

そしてお定まりの悪所通いだ。

その時代の取り巻きがつい平蔵を銕さんと呼んでしまう。

そして勧善懲悪を一筋に追い、極悪人を取り締まっている。

これまで何人の銕さんを見て来ただろうか。

一番凄味があったのは丹波哲郎の長谷川平蔵。

次に松本幸四郎、のちに白鴎と呼ばれたが、既にかなりの年であり迫力が今ひとつなかった。

老年期に入ったころでありあれほど体は動かなかっただろう。

そして萬屋金之助の平蔵、少々肩に力が入り過ぎ、又鼻息の粗さが出過ぎて余りにも芝居がかっている。

そして最後の平蔵、中村吉右衛門、尾上松緑の次男坊で兄の幸四郎とは些か見劣りする。

兄が余りにもいい男だった。

歌舞伎だけではなくシェークスピア劇にも出演し、幅の広さを見せつけた。

が全盛期の吉右衛門、最後に出て来るジプシー・キングスのギターの挿入、

まさしく新時代の平蔵であろう。

実にリズミカル、そしてそのテンポの良い事。

太棹のギターを弾き、その豪快さは見事であった。

勿論ジプシー・キングスのCDは買い入れ何時も聞いている。

ボラーレで始まるサッカーの応援歌も実に楽しい。

いつもそれに乗せられてしまう。

そしてバックに出て来る京都大覚寺の渡り廊下、

現役の頃然る商社の副社長が亡くなられその葬儀に参加した。

最折しも秋真っ盛りの季節であった。

今でも強烈な印象が残っている。

少し横道にずれたが、この特別警察は実に248代も続いている。

最後の火付け盗賊改めは、慶応2年8月で終わっている。

この長谷川平蔵は最後に備中守に出世している。

慶応2年と云えば明治になるほんの一年前まで、

江戸初期から明治になる寸前まで続いていたのである。

いかに江戸幕府が市中の治安に気を使っていたか、日本文化はこのころ本当に出来上がった。

それが見てくれこれ程劣化するとは、、、
「いずれにしてもこの国は救われない」16.11.12  今朝の嬉しいニュ
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